最近、いろいろな言葉に、「~の方」という言葉がついているのをよく耳にする。「こちらの方」とか、「お客様の方」とかいうあれである。
前々から、この言葉が気になっていた。「あちらの方に行く」とか言うのは、全く正常な日本語だからいいのだが、およそ「~の方」がつきそうにもないところにまでついているので、とても気になる。
先日、レストランでフランス料理のコースを食べていたら、ウェイトレスが、「~の方」を連発した。「お料理の方はお肉料理で」とか「ソースの方は」とか、挙げ句の果てには「お皿の方、熱くなっておりますので」とか言う。「お皿の方」というのは、いったいどっちの方面であろうか。お皿がおいてある方向なのか、それともお皿がおいてある地域なのか、全く判然としない。もちろん、本当はお皿そのものを指しているのはわかっているのだが、どうにも違和感がぬぐい去れない。最近は、ついに、「2000円の方、お預かりします」というのに出会って、さすがにショックを受けた。
「~の方」というのは、もちろん本来は漠然と方向を指す言い方で、そのほかには、いくつかの選択肢がある中の一つを他と比較して指すときにも使う。「お皿の方」があるのなら、「お椀の方」とか「コップの方」とかもあるわけである。で、その中からお皿を選んで、「お皿の方がいい」などと言うわけだ。それが何で、比較も選択もない場面で使われるようになったのか、というのは、なかなか興味深い。
思うに、これは朧化表現の一種であろう。朧化というのは、物事をわざと曖昧に表現して、どぎつさを回避する表現方法で、古典ではよく用いられた。「ものす」という動詞があって、これは、「何かをする」という意味なのだが、およそ、どんな動作についても用いることができた。それは、動作そのもを直接に表現するのを嫌って、わざと曖昧な言い方をしたのであり、そのような表現を朧化表現という。
さて、「お皿の方」というのは、「お皿」とそのものを直接に表現するよりは、確かに曖昧である。「山口の方」といったら、山口そのものではなく、山口周辺を含んだ漠然とした地域を指すわけで、つまりは、「の方」というのは、かなりの曖昧さを伴っている。だから、「の方」をつければ、表現は曖昧になるのである。
問題は、なぜ「お皿」を曖昧にしなくてはならないか、ということである。目の前にお皿があって、それを「お皿」と直接に表現するのは、別にストレートすぎる表現というわけではない。まして、「2000円」というのは、厳密な数字だから、曖昧では困る。こっちが2000円出したのなら、きちんと「2000円」でなくては、お釣りでもめることになってしまう。それをあえて「の方」などと曖昧な言い方をするのはなぜなのだろうか。
一つの要因としては、敬語とか丁寧語の衰退ということがあるのだろう。きちんとした敬語法は使えないけれど、たとえばレストランの客に、ウェイトレスは丁寧な口を利くものだという意識だけがあって、何でもかんでも丁寧に言おうとするときに、こういう表現がでてくるのではないかという気がする。確かに、朧化表現というのは、敬語につながる意識があって、丁寧な物言いであるから、それを拡大解釈しても不思議はないわけである。敬語を使い慣れない人は、よく、非常に緊迫した場面で敬語を使おうとして、敬語の過剰になってしまうことがある。あれがほとんど日常的に起こっているのが、「の方」なのではないだろうか。
もちろん、おそらく他にも理由はあって、社会学者などは、ここから「現代の希薄化した人間関係」を引っぱり出したりするのかもしれないが、当面、私にはそういう興味はない。ただ、「の方」と言われると、とても気になるのである。ストレートに表現して何の問題もない場面では、ストレートに表現してもらいたい。少なくとも「2000円の方」はやめてほしいと思うのである。